「ひょっこりひょうたん島」は多くの人たちによって作られています。人形劇団も声優もセットを作る人もみんなが作者だとも言えますが、その中で原作者と言えるのは井上ひさし先生と故山元護久先生です。井上ひさし先生はあまりにも有名なので、今回は山元護久先生について紹介いたしましょう。
山元護久先生のプロフィール
1934年9月19日、京都に生まれる。
早稲田大学独文科に在学中から早大童話会で活躍し、小沢正氏らと童話研究誌『ぷう』を創刊。独特のユーモラスでテンポのある文体と筋の運びで、童話界に新風を吹き込みました。
卒業後はそのまま作家生活に入り、童話や絵本の執筆に加えて、幼児・子ども向けテレビ番組の台本に健筆をふるいました。代表作は何と言っても井上ひさし先生と共同 執筆した「ひょっこりひょうたん島」。井上ひさし先生との共作はこの他に「ネコジャラ市の11人」、アニメ「長靴をはいた猫」などがあります。
「おかあさんといっしょ」(NHK)、「ママとあそぼうピンポ ンパン」(フジ)など多数の幼児番組の台本構成を担当し幼児番組の黄金期を支えた放送作家の一人でもあります。
童話の代表作としては『ピストルをかまえろ』『なまいきスッパ』『がんばれねずみたち』など。子どもを愛し、子どもの自由を束縛するものとたたかいながら、かつ多彩な発想とスピーディーな展開を持つ独特の作品を残しました。しかし1978年4月22日、打ち合わせ中に脳出血により急逝しました。享年43歳。「ひょうたん島」はもちろんその他の作品についても再評価が待ち望まれます。
「また、わたしの敬愛する井上ひさしさんにも心から感謝しなければなりません。井上ひさしというひとつの大きな才能にめぐりあえなければ、そしてその才能が生みだした多くの財産を、わたしなりにかすめとることを、井上さんが許容してくれなければ、今だに児童文学界をおおう公式論的テーマ主義から、わたし自身、ぬけだせなかったと思います」。(山元先生の発言。「その手にのるな!クマ」あとがきより)。
〈「ひょうたん島」を除く作品〉 (あいうえお順)
『あいうえお』 あかね書房 1974
『あぶないよ』 世界文化社 1972
『雨はまちかどをまがります』 理論社 1976
『ありがとう』 世界文化社 1972
『おにのこもりうた』 国土社 1960
『お話のおもちゃばこ』 理論社 1967
『おはなしの時間』 国土社 1960
『おふろ』 福音館書店 1973
『おみせやさん』 世界文化社 1972
『かいぞくふとっちょジェイク』 ひさかたチャイルド 1982
『かたかなアイウエオ』 あかね書房 1977
『がんばれ ねずみたち』 ひさかたチャイルド 1982
『けいじぶちゃねこドラのこのなぞをとけ』 旺文社 1978
『ことばあそび』 主婦と生活社 1976
『子どもの文学傑作選 初級!クマ子のなみだほか』 偕成社 1971
『こぶとりじいさん』 高橋書店 1977
『ごんがねらっているよ』 ひさかたチャイルド 1981
『さーかす1・2・3』 あかね書房 1975
『図解冒険ハンドブック』 講談社 1973
「世界名作童話劇場」 リーダーズダイジェスト 1974 (井上ひさし先生と共に文を担当)から 『せむしのこうま』『わらしべおうじ』『しらゆきひめ』『シンドバッドのぼうけん』『ねむりひめ』
『そのてにのるなクマ』 学習研究社 1973
『そばかすみっこのぼうけん』 ポプラ社 1978
『それゆけねずみたち』 あかね書房 1969
『ちいさなひとたちへ』 理論社 1967
『地球はおおさわぎ』小峰書店 1986
『つくるほん』 あかね書房
『とけいじいさんのとけい』 ひさかたチャイルド
『なまいきスリッパ』 太平出版社 1981
『ねおはなしよんで』 童心社 1963
『はしれロボット』 小峰書店 1962
「母と子のお話図書館」シリーズ 三一書房 1967 から @『とってもおもしろい話ちょっとこわい話』 A『うつくしいすてきな話みんなげんきな話』 B『日本のむかし話世界のむかし話』 C『ほんとうにあった話ふしぎなふしぎな話』
『ピストルをかまえろ』 小峰書店 1970
「ピンポンパンちびっこ百科」シリーズから @『おかしなかたちだピンポンパン』 A『かぶとむしだよピンポンパン』 B『だちょうだよピンポンパン』 C『ふたつだよピンポンパン』 D『ママとあそぼうピンポンパン』
『ぼくらの夏』 小峰書店 1970
『まるさんかくしかくさん』 あかね書房 1976
『夢とふしぎの物語』 小峰書店 1963
新たに山元護久先生が脚本を担当したアニメ映画があることが分かりました。
『アリババと40匹の盗賊』 東映 監督:設楽博 音楽:宇野誠一郎 1971 (DVDが発売されています)